現代版「方丈記」-いにしえに住む人ありき

最近は、急増する空き家をどう処分すべきか自治体が苦慮している、という話題がテレビでしばしば、取り上げられています。

私の家のご近所にも、いつの間にか空き家と仮した家が目に付くようになりました。
空き家になってしまった原因の一つは、そこの住人だった人が高齢となって施設に入ったり、買い物に不便なことを理由に引っ越してしまい、家を引継ぐ人もいないことが理由のようです。

あるいは、本当はずっとその家に住み続けていたいのに、耐震性不足や区画整理のため立ち退きを強制されて、引っ越しをせざるを得なくなった、そんな事情に直面した人もおられるでしょう。

私が通う職場の近くにある4軒ほどの古い地小さな家のうち3軒が空き家になっていることに気づいたのは、それら3軒の住人が実際に立ち退いたであろう時期からかなり時間を経てからでのことでした。毎日、この数件の家の脇を通って職場に通勤していたにも拘わらずです。

この地域は、数年前から再開発が進められており、かつては民家や個人商店がたくさんあったのですが、それらの多くは高層ビルに取って代わられ、風景が一変したところです。狭い路地裏のようなところに古くからある戸建ての民家やアパートが数軒が肩を寄せ会うようにして残されており、高層ビルを目にしたあとでこの地域に足を踏み入れると、あたかも、昭和30年頃の時代に戻ったような錯覚を覚えます。耐震性が問題にされるずっと以前の建築のようで、このまま住み続けることは危険だということは、素人目にも明らかでした。

私が3軒の家に住人がいなくなったことにいつまでも気がつかなかったのは、人の姿こそ見かけませんでしたが、銀杏の木はいつも通りの場所に植わっており、植木鉢に植えられた草花も例年どおり季節にふさわしい花を咲かせ、異変を感じさせるようものはなにもなかったからでしょう。

しかし、家の前を通るたび、なんとなく雰囲気がこれまでと違うと感じ始めました。
そういえばあの家にはネコがいて、飼い主さんが玄関を開けてくれるのを待っている姿をよく見かけたけど最近は全くみかけない、あの窓のカーテンもずっと閉められたままみたい、物干し竿や洗い桶はそのままあるけれど、洗濯物が干されところを見かけたことがない等々の状況が明らかになって、鈍感な自分にもようやく、3軒の家にもはや住人がいないことがわかったのです。

私は意味もなく、呆然としてしまいました。自分とは縁もゆかりもない人たちが住んでいた家が空き家になったことで、なぜ自分がショックを受けるのかまったくわかりません。

ただ、人の気配が消えた家は、空虚で、時間が止まったように感じられ、さまざまな勝ってな想像をかき立てます。「家族はみんなで旅行にいったのだ、そのうち帰ってくるだろう」そう思っていたのに、自分だけ取り残されたことを知った家はどんな思いがするだろうとか。

住人が立ち退いて数年がたちました。それらの家はまだ解体されることもなく放置されたままです。私は飽きもせず、毎日、帰り際にこれらの家の前でしばらく立ち止まってぼんやりとし、何ごとかを思います。

近所にはまだ、旧い家が少なくともまだ2軒ありますが、どの家も老朽化が目立ちます。今年が終わり、年明けに出社してみたら、もう、住人はだれもいなくなっていた、そんなことになってしまうのかもしれません。

毎日、家のある路地を通って通勤しているにも拘わらず、私はその家の住人たちと一度も顔を合わせたことがありません。姿をみかけたこともありません。

ですが、2件の家のそばを通るたびに、物干し台を見上げ、洗濯物が干してあったり、蛍光灯が付いていたり、人が住んでいる気配があるといるとなぜか、ほっとします。

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